山猫が見た世界

生息地域:東京、推定年齢:40歳前後、性別:オス

映画:「オッペンハイマー(Oppenheimer)」


昨年8月の諸外国での公開以降、日本での公開が保留にされていたクリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)監督の最新作。第二次世界大戦中にアメリカ合衆国が行っていた極秘の原子爆弾開発プロジェクトである、マンハッタン計画。その総指揮者であり「原爆の父」とも言われる物理学者オッペンハイマー(Oppenheimer)の生涯を追った作品です。先に公開されていた地域では軒並み高い評価を受け、アカデミー賞(2024年3月)作品賞を始めとする数々の賞を受賞しました。ようやく日本でも劇場公開されました。

物語の骨子は、オッペンハイマー原子爆弾の研究開発を進める中で、科学的探究心や戦争を終わらせたいという信念と国家権力による政治的圧力との矛盾に苛まれるというもの。ただし、話の進み方は全く単純ではありません。多くの登場人物の愛憎入り混じる複雑な関係性の中で、ノーラン監督特有の抽象的・形而上学的な言語によるセリフまわしにより、3つの時間軸の物語が同時進行していきます。オッペンハイマーは、「慧眼にして盲目」と評されるほど有能さと人格面での欠格ぶりが際立っていていたようですが、言動の背景にある心理状態や思考回路を深堀する描写は無く、その人物像は極めて曖昧で掴みどころがありません。さて、本作は視聴者に何を見せようとしているのでしょう。


当時、最新の技術である原子爆弾については実地研究が不足しており、実用規模の原子爆弾の爆発は、地球の大気そのものへの引火を招来する可能性があると言われていました。そのような疑義が払拭されないまま、実用規模の原子爆弾の初めての爆発実験に突入します。不発に終われば研究開発は失敗に終わり、一方、爆発が成功したとしても、地球全体への延焼を招いてしまうかもしれない・・・起爆装置にかかる手が震えます。意を決してボタンを押した刹那、見たこともないほど強烈な閃光が夜空を切り裂きます。大気への引火は起きず、代わりに、オレンジ色と黒で構成されたおどろおどろしい異形の雲がもくもくと立ち上がります。

この美しくも恐ろしい「トリニティ実験(Trinity test)」のシーンは、映像と音楽の相乗効果により、思わず息を止めてしまうほどの緊張感に包まれた素晴らしい仕上がりになっています。一方、実験のわずか1か月後に日本に原爆が投下されることとなりますが、原爆投下の場面は描写されず、被害の状況や政治的影響などについても極めて断片的な形で曖昧にしか語られていません。観る者の心の中に自然に沸き立つ負の感情に対するアンサーは、作中では全く提示されておらず、各自の解釈、解決に委ねられています。


ノーラン監督は、人類史が「核がある世界」という新しいステージに入った瞬間をどう描くかというところから作品の構想を広げていったと語っています。そう、本作は物理学者の生涯を叙述する伝記映画ではなく、原子爆弾の実用化が実現した瞬間を頂点に据えて、その前と後の世界の有様を描いたものなのです。そう考えると、トリニティ実験のシーンが際立って生々しく具体的に描かれている一方、それ以外の部分は断片的且つ抽象的で、主人公の人物像すらもぼんやりとした透明なものとして描かれていることがすっと腑に落ちます。

さて、私たちは、3時間の上映時間の中でオッペンハイマーの目線で史実を追体験し、何を感じ取り、それをどう咀嚼するでしょうか。人類は、自分たちをも滅亡させてしまうほど強力な兵器を手に入れて、予定調和として、滅びの道を歩むのを止められないのでしょうか。