山猫が見た世界

生息地域:東京、推定年齢:40歳前後、性別:オス

映画:「怪物」

是枝裕和監督の最新作は、儚く危なっかしい子どもたちと、その子どもたちに翻弄される大人たちを巡る物語。母子家庭で育った少年を巡るいじめ問題の真相究明を軸としつつ、現代を生きる人たちが直面している様々な社会問題と、いつの時代・場所にも普遍的に存在する人間関係の交錯が丹念に描かれています。是枝監督が「自分に書けない」と絶賛した脚本(いつもは自ら脚本執筆しますが、本作では脚本を坂元裕二さんに委ねています)は、見事、カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞しました。

前半は、時間軸と視点を切り替えながらの、早いテンポの展開。徹底的なダメ人間のように見える学校の先生が、実は真摯に教育と向き合おうとしている好青年であったり、死んだ魚のような眼をして無機質な対応に終始する校長先生が、実は良き指導者であったりと、ひとりひとりのキャラクターが視点や立場によって全然違って見えるというのが面白いところです。人間の本質が「悪く見えることもあれば、良く見えることもある」多面的なものであるということが、的確に表現されています。娯楽映画に出てくる「良い人のように取り繕っているが、本性は横暴」というステレオタイプな人物描写は、全然真実味が無いですよね。

一方、後半から終盤にかけては、もともと少ない登場人物が更に厳選され、物語展開も極端に遅くなり、その分、二人の少年の関係性がじっくりと丹念に描かれます。心の距離が近くなったり、遠くなったり、冷静な対応を取ったり、感情が溢れて抑えきれなくなったり。繊細な魂の動きが、静謐が支配する風景の中で画面全体に浮き彫りにされていきます。背後に流れる坂本龍一さんの楽曲の美しさも相まって、映画を観ている自分の心もどこかへ持っていかれてしまうのではないかという感覚に襲われました。映画に負けない余韻深い楽曲を作られた坂本龍一さんに、心よりご冥福をお祈りいたします。

「怪物」というタイトルが何を意味するのかが気になるところですが、作中ではこれに対する明確な説明は無く、視聴者の解釈に委ねられています。私は、「人は誰もが怪物になり得るような恐ろしい感情を抱えているのだ」とか「人間ほど恐ろしい怪物はいないのだ」という意味を帯びて、ぼんやりと作品全体を包んでいる薄衣のようなものと捉えました。このようなイメージを持ちながら観ることで、ようやく腑に落ちるシーンもいくつかありました。

近年の是枝裕和監督は、自身の監督作品を毎年1本制作し、その間にも同じペースで他人の監督作品のプロデュースまでしています。それらの作品の全てが視聴者を唸らせる完成度。寝ても覚めも、より良い映画を作るためにどうすれば良いかを考え、それを実行しているのでしょう。その飽くなき情熱と実行力、全く枯渇することのない創造力に、ただただ感嘆するばかりです。