山猫が見た世界

生息地域:東京、推定年齢:40歳前後、性別:オス

映画:「小さき麦の花」

農村の夫婦の生きざまを描いた中国映画で、低予算での作成ながら2022年夏に本国でプチヒットした作品・・・という程度しか知らない状況で恵比寿ガーデンシネマでの上映に突撃しました。鑑賞して納得。なるほど、これは地味ながら見ごたえのある素晴らしい佳作でした。

舞台は2011年の中国内陸部の農村。貧しい農家に生まれた有鉄(ヨウティエ)と貴英(クイイン)は、親同士の意向により半ば無理矢理に結婚させられます。体に障害がありすぐに失禁してしまう貴英は、常に虐げられて育ってきたために他人に心を開くことも笑顔を作ることもできず、結婚記念の写真撮影でも硬直した表情のまま。そんな貴英を、実直な働き者である有鉄は懸命にサポートし続けます。自分たちの意思とは全く関係無く夫婦となった二人ですが、力を合わせて厳しい農作業を行っているうちに確かな信頼関係を形成していきます。

この実直な農民という設定の有鉄。言葉は少なく、ただひたすら黙々と作業をこなしていきます。表情や動作自体から都会者とは一線を画する逞しさを感じずにいられず、ものすごい表現力のある役者だなあと思って観ていたのですが、なんとプロの役者ではなく監督の親族で実際に農業を営んでいる方だとのこと。道理で朴訥とした表情や物言いの中に真実味がこもっているわけです。

畑を耕し、種をまき、苗を植え、草を刈り取り、収穫する。土を掘り、粘土を固め、壁を積み重ね、藁を敷いて家を作る。特に言葉での説明は無く、華美な装飾も、感動を誘うような展開も無く、農作業を軸とした農村の暮らしがひたすら淡々と続くのですが、不思議なことにこれが見ていて全然飽きません。主人公二人の繋がりも、所謂ラブストーリーとはかけ離れたもので、力を合わせて生活を維持するということが全てと言えるほどシンプルな関係性です。そうだからこそ、「相手を大事に思う、信頼する」ということが愛情の本質なのだということがひしひしと伝わってきます。

時折、中国の経済発展の波が農村にも影響を及ぼしている状況が描かれます。これが伏線となり、終盤、主人公の二人はのっぴきならない出来事に苛まれますが、その事象すらも「農村で起きた些細な事」として経済成長の大きなうねりの中に飲み込まれて霧消してしまい、そのまま物語が幕を閉じます。本当に信頼できる相手を見つけることができたときの素晴らしさ、幸福さと、人生の儚さ、脆さに思いを巡らさざるを得ませんでした。映画館を出て、整理しきれない気持ちを落ち着けようと、本来であれば電車に乗る距離を歩いて帰りました。